本多秋五が亡くなった(1月13日)と報道されたとき、僕はたまたま古本屋で手に入れた『物語戦後文学史』を読んでいた。「戦後を代表する文芸評論家の一人で『近代文学』の最後の創刊同人」と必ず紹介されるのだが、昭和三十年生まれの僕にとっては歴史上の人物であった。が、文芸評論家という肩書きの人々の中で、僕が信頼できると感じたのは本多秋五のみであった。それは個々の評論に対する共感ではなく、人格に対する信頼だと思う。本多秋五の語る言葉に、僕は首を傾げたことがない。 『近代文学』という雑誌は、プロレタリア文学出身の文芸評論家や作家達が敗戦直後の1946年1月に創刊した同人雑誌である。創刊の趣旨のひとつに「政治的党派からの自由確保」とあるが、そのこと自体が随分政治的である。最初は、新日本文学会の中の異端分子だったのだろう。『近代文学』創刊の挨拶に宮本百合子宅に出向き、そこに中野重治が来て、「百年先を目標にという気持ち」と述べたところ、二人に笑われたというエピソードを本多秋五自身が書いている(『古い井戸の記憶』収録の「近代文学」編集後記)。誰もが最初はチンピラ扱いされたのだという変な共感と、「百年先」という言葉は、本多秋五に限っては大真面目だったのだろうという思いがする。 戦後文学は政治と切り話せない側面を持っていた。「新日本文学会」が日本共産党主流派の「人民文学」と激烈な党派闘争(実体は共産党内部の主流派と国際派の闘争)をしていた時期に、野間宏や安部公房が「人民文学」に参加していたという事実や、「人民文学」の攻撃目標が中野重治と宮本百合子であったという事実、今でも古本屋で見かける岩波講座「文学」が当時の主流派の編集下にあったものであるという事実(これは読めば見当がつくが)も、個々の作家を評価する上で考慮されるべきものだろう。中野重治にしても「お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな」と書いた時期があり、随分高圧的な評論も残っている。個々の言説や作品が、どのような時期に書かれたものであるかを考慮することなしに、誤解なく読みとることができないのである。それは、個々の作品の発表当時の評判も同様で、どういう社会情勢の下で熱狂的に受け入れられたかという考察なしに、冷静に評価しえない性格を持っている。と、本多秋五は『物語戦後文学史』で繰り返し書いているのだが、不思議に本多秋五自身に限っては、そういう斟酌無しに、今もそのまま読める。驚くべきことだと思う。 もともとが白樺派やトルストイの研究に業績のある人で、「百年先を目標にという気持ち」という信条は一貫していたのだろう。今日明日の読者の評判を狙って、派手な活躍をするというタイプの評論家ではなかったようだ。ただ、激昂したことがない訳ではない。「人民文学」の宮本百合子批判に対して、こんな文章を残している。 『宮本百合子の人物を、私はきらいだという人があったとしても、それは仕方がない。彼女の小説を、人が言うほどおれは感心せぬという人があったとしても、それはやむをえない。しかし、彼女の作品をいくらかでも自分の眼で読んだことのあるものなら、「彼女は階級敵であり、帝国主義者の血まみれの手に、恐れもなくつながったのである。」とか、彼女は「ブルジョア文壇に寄食し、プチブル的生活を維持しつづけることに成功した才能あるペテン師であった。」とかは、口が竪に裂けてもいえるはずがない。(中略) こんな激しい語調はここだけなのだが、宮本百合子が亡くなった直後のことだったから余計に感情的になったのだろうとしても、本多秋五の文学に対するスタンスをよく示していると思う。戦後文学のあれこれについても、実に丁寧に読みとるのだが、観念的で都合のいい作り話には容赦ない批評を加え、個々の作家の成功作と失敗作を厳密に区別して批評した。三島由紀夫についても多くを語っているのだが、本当は好きではなかったのだろう。「真実のひびきがある」と評価しているのは『仮面の告白』だけで、『青の時代』や『禁色』にはそれがなく、「作者が力を集中すべきところはそこではない」とまで書いている。 『矢はあやまたず的にあたるが、決して裏をかかぬへろへろ矢というものがある。反対に、弓勢は人を気死せしめるばかりに凄まじいが、矢は的をかすめるばかりという強弓がある。この当時、三島の作品に喝采を送り、彼に追随したもう一つの意味の戦後派は、並居るものを圧倒する絶望的な弓勢を欲したのであった。』(『物語戦後文学史』) 三島由紀夫の人気は、今でも絶対的である。ましてや人気の絶頂期にこんなことを言う評論家は少なかっただろうと思う。僕が三島嫌いだから共感したのかも知れないが、一般論として読めてしまうのが本多秋五の評論の魅力である。彼の評価は常に百年単位なのだろう。 戦後文学を総括して、こんな熱っぽい文章も残している。 『戦後文学は痩せて、頭でっかちで、しばしば骸骨的ですらある。実際にはそこには骸骨にさえならない骨格の断片があり、今日読んでいたずらに仰々しく空虚なだけのものもある。しかし、ガラクタはいかなる時代の文学、いかなる流派の文学にもある。戦後文学のなかの最良のものには、今日の文学は皮膚に浮かんだちりめん皺や脂肪の光沢にただ気をとられている、と思わせるものがある。 戦後文学を最低の鞍部で越えるな、という言葉は、プロレタリア文学を最低の鞍部で越えるな、私小説を最低の鞍部で越えるな、と様々に言い替えることのできる、本多秋五の精神なのだろうと思う。それぞれの時代に、それぞれの文学がある。が、「ガラクタはいかなる時代の文学、いかなる流派の文学にもある」のだから、その最良のものを読みとればいい。本多秋五のヒューマニズムというのは、そんな姿勢なのだと僕は思っている。1999年に全集が刊行されているらしい。 <2001.1.18> |