銭湯一人旅

 趣味で始めた銭湯巡りが、七年間で百軒を越えました。若い頃から銭湯好きではあったのですが、休日にわざわざ銭湯に入るためだけに出かけるようになったのは六十歳を過ぎてからです。
 五十代後半に糖尿病と診断された私は、医師から運動療法を勧められ、サイクリングを始めました。運動のためですから、目的地はどこでもよかったのですが、ガイドブックに載っているようなサイクリングコースではなく、日帰りで行ける範囲の銭湯を目的地にして、のんびり走ることが性に合っていました。
 自転車で行けない所には電車で行きました。スマホの銭湯検索アプリや、インターネットの銭湯紹介サイトなどを頼りに、一度も降りたことのない駅に降り、初めての駅前商店街を散策しながら、お目当ての銭湯を探すのです。なかなか見つからなくても、運動療法だと思えば苦にならないし、私にとっては立派な一人旅なのでした。

♨極楽温泉
 駅前商店街にある銭湯、または商店街から見える範囲の通りにある銭湯ならば、探すのに苦労はしないのですが、そうは行かないことのほうが多いです。極楽温泉さんは、環状線の桃谷駅から公称徒歩五分。ところが道が細かく入り組んでいて、随分迷いました。見つけてみると広々とした正面玄関で、どうしてこれが見つからなかったのかと思います、いつも。
 番台側に小さな庭とトイレがあって、奥に浴室という標準的なレイアウトなのですが、実にゆったりしています。浴室のど真ん中に深風呂。その周囲を広いタイルのスペースが囲み、洗い場は二十七人分もありました。奥に浅風呂、気泡風呂、超音波風呂、手前に電気風呂もあります。
 高いドーム型の天井には八角形の綺麗な天窓。一番奥のたぶん増築した部分に、スチームサウナとサウナがあって、滝になった風呂と露天風呂が並んでいたのですが、入ってみるとどちらも水風呂でした。深風呂に浸かりながら眺めていると、サウナから出て来た人達が水風呂にざぶんと飛び込でいて、気持ちよさそうでした。風呂から出ても、脱衣場では常連さん達がなかなか帰らず、競馬の予想と地上げの話題で盛り上がっていました。
 帰りは桃谷商店街を散策することに。桃谷駅から曲がりくねった細い下り坂がずっと続いていて、アーケードが一度も途切れないので、ひとつの商店街だと思っていたのですが、実は「桃谷駅前商店街」、「桃谷中央商店街」、「桃谷本通商店街」、「桃谷本通東商店街」に分かれているのでした。
 極楽温泉さんを出て商店街に横入りすると、丁度「桃谷本通商店街」が始まる所でした。すぐにいかにも昭和風のたこ焼き屋さんを発見。白い鉢巻をした赤いタコが足を伸ばした紺色の暖簾。その下に表向きに設置されたたこ焼きの鉄板。横から店内に入れる茶色の暖簾が掛かっています。後で調べたら、昭和二十八年創業の名店「西村」さんでした。
 たこ焼き十個が三百四十円。小振りの十個ですが、某チェーン店のようにソースまみれにせず、さらりと一度塗った感じ。皿の隅にからしが添えてあります。いつもの癖で「マヨネーズ抜きで」と言うと、「うち、マヨネーズないんです」とのお返事。そうですよね、マヨネーズなんて付けなかったですよね、と心から感動したのでありました。

♨花園温泉
 正月五日、有給を取って花園ラグビー場へ。高校ラグビーが好きで若い頃から何度も来ているのですが、記憶にないほど暖かい花園でした。第一試合の大阪桐蔭対桐蔭学園、第二試合の東福岡対佐賀工業の試合を全部観ました。第二試合は、後半残り八分から佐賀工業が三トライの猛反撃。花園が一番盛り上がりました。
 会場を出て、そのまま徒歩で花園温泉へ。近鉄奈良線の東花園駅から河内花園駅に向かって線路沿いを歩きます。煙突を見つけて近づいてゆく途中、煙突も看板も古びていて、もしかして廃業されたのかなと思いました。でも、綺麗な暖簾が目に入り、一安心。
 中に入ると、どこかのお宅の居間のような空気。大きな水槽や本格的な筋トレ器具、マッサージチェアなどなどが整然と配置されているのですが、物置を兼ねたみたいな脱衣場でした。
 浴室は天窓がなく、湯気がこもっている上に蛍光灯の照明も少なめで、薄暗い感じでした。でも、T字に配置された深風呂、浅風呂、ジャグジー、電気風呂のレイアウトがお洒落で、群青色のタイルに囲まれた湯船に浸かっていると、なかなか幻想的な気分になるのでした。こうやってお風呂を楽しめることが、どれほど幸せかと思わずにはいられません。
 老朽化が進んでいることは確かなのですが、お客さんはいっぱいでした。営業時間を午後三時半から十時にして営業を続けておられるとのこと。存続して頂いているだけで有難い。そう思いました。

♨青山温泉
 初めての阪急三国駅は、地下鉄御堂筋線の東三国駅みたいな駅かなと思っていたら、賑やかな駅前でびっくり。ロータリーは広いし、大きな商店街もあります。めざす青山温泉は、その商店街を奥まで進んでちょっと横道に入ったところにありました。
 お名前が青山だからでしょうか、ブルーを基調にしたお洒落な外観です。中に入っても、下駄箱も脱衣場の脱衣箱も、浴室内の椅子も天井も水色の濃淡を上手に使った可愛い内装で、ほんとはケーキ屋さんになりたかったのかなと思ってしまいました。
 脱衣上から浴室とは別にサウナの入口があり、浴室に入ると深風呂、浅風呂、水風呂、電気風呂、超音波風呂が固まっています。電気風呂と超音波風呂には、深風呂か浅風呂を経由しないと行けません。奥にはスチームサウナと備長炭風呂、暦風呂がならんでいました。暦風呂では一日遅れのゆず湯が楽しめました。
 コンパクトなお風呂ですが、壁面も富士山ではなく絵本の表紙のようなパステル調の絵になっていて、ゆったりした気分になれます。午後二時からの営業ですが、すぐにお客さんで一杯になりました。
 帰りに十三まで一駅移動して、角打ちの名店イマナカさんへ。常連さん達に混じって大型テレビで競馬中継を見て、芋のお湯割りを一杯。極楽でございました。

♨八坂温泉
 八坂温泉さんは阪神野田駅から徒歩七分。もうちょっと歩いた気がします。昭和元年創業とホームページに紹介されていたので、いつか行ってみたいと思っていた銭湯でした。建物自体は改築されていて激渋温泉の外観ではありませんでした。窓が大きくて、外からロビーで中学生くらいの男の子が大勢で騒いでいるのが見えます。番台で小さな石鹸を注文したのですが、女将さんが「こんなん使い切られへんやろ」と言って、石鹸箱をタダで貸してくれました。浴室は、サウナと別にスチームサウナもあり、露天風呂(薬風呂)、ジェットバス、気泡風呂、電気風呂、水風呂などが左側一列に並んでいて、右側が洗い場というすっきりしたレイアウト。日曜日の夕方に銭湯に来るのは久しぶりで、親子連れが多くて賑やかでした。
「二十数えるまで出たらあかんで。いーち、にーい、さーん‥‥」
 今も同じなんやな、と妙に感傷的な気分になりました。
 小学生の頃、父親と銭湯に行く時間がとても楽しみでした。小学一年のときに両親が離婚したために、私は伯父の家に預けられていました。四年後に父親が再婚し、私を引き取りに来ました。伯父の家でも伯母を「お母ちゃん」と呼ばされていましたから、私にとっては三人目の「お母ちゃん」が現れたのでした。新しい母親は、無口でどちらかというと陰気な人でした。虐められたり、怒鳴られたりすることはなかったのですが、毎日父親が帰宅するまでの時間が気まずくて、退屈でした。父親が帰宅しても、母親の目の前ではしゃぐことはできません。母親が不機嫌になることが子供心にも分っていたからです。父親と二人きりになれるのは、銭湯に行くときだけでした。私はずっと喋り続けていました。友達ができたこと、先生のこと、鼓笛隊に入ったこと、図書館で見つけた本のこと。父親はずっと黙って聞いていました。
 二十まで大声で数えているこの男の子と父親も、日曜日だけ単身赴任先から父親が帰ってくるのかもしれないし、父子家庭かもしれないし、そんなことはないのかもしれません。でも、銭湯で本当に嬉しそうにはしゃいでいる子供を目にすると、昔の自分を思い出します。

♨みやの湯
 みやの湯さんは、京阪の大和田駅から徒歩五分。駅からも国道からも外れているのに、大和田センター通り商店街という名前が面白いなあと思って歩いていると煙突を発見。手書きの看板も目立っていました。本日の湯は「岩下の新生姜の香り湯」とな。
 入ってみると、ロビーに若い男性が座っていて、いろんなグッズが置いてありました。浴室は明るく、主浴槽が真ん中からお湯が盛り上がるように吹き出ていて、ちょっと熱めのお湯が快適でした。横になるジャグジーと電気風呂、水風呂などが並び、プラス百円のサウナには入れなかったのですが、露天風呂は本当に岩下の新生姜色のお湯で、食品サンプルのような握り寿司がたくさん浮かんでいました。
 そして、なによりびっくりしたのが、浴室の壁いっぱいに貼ってある手書きの「みやの湯新聞」。その中に、みやの湯を継業して二年になりました、という記事があり、ネットで調べてみると「ゆとなみ社」という会社が廃業になる銭湯の事業を継承する活動を続けていて、みやの湯さんはその五号店なのでした。
 なんと有難い人達でしょう。確かに、若い人のアイデアが注入されて銭湯自体が生き返っているような活気を感じます。「みやの湯新聞」には、椎名林檎さんのコンサートに行って来ました、というような記事もあって、結構楽しくて読ませて頂きました。

♨延命湯
 仕事帰りにJR福島駅から徒歩二分の延命湯さんへ。勤め先から近いのですが、地下鉄一本で行けないのがネックで後回しになっていたのです。が、どうしても行きたくて、地下鉄の西梅田駅からJR北新地駅まで歩き、一駅先の新福島駅に着いたのでした。
 福島駅前の飲み屋街は歩いているだけで楽しくなるような大盛況。そうか、三連休前の花金なんや、と気づくも初志貫徹。新福島駅からも二分程度ですぐに発見。路地の奥にあったのですが、大きな電光看板が表通りからはっきり見えました。
 大阪府の銭湯の料金が四九〇円の時でしたが、ここは四五〇円。五〇円玉のおつりをもらって脱衣場を見てビックリ。きょ、曲線だらけや! 
 壁だけでなく、脱衣箱までカーブしているのです。浴室に入っても曲線だらけ。湯船も天窓も丸くて、どこかのパビリオンにでもいる気分。店主はよほど直線がお嫌いなのでしょうか。
 ジャグジーやサウナ、露天風呂もあって、お湯加減も最適で、ゆっくり楽しませて頂いたのですが、なんと言ってもこの曲線。異空間体験でした。

♨千鳥温泉
 二〇一八年の七月三十一日、私は生まれて初めて救急車のお世話になりました。そして、八月四日に台風二十一号が上陸して御堂筋の街路樹をなぎ倒して通過する間、ずっと近大付属病院の救急病棟にいました。
 五十五歳のときに糖尿病と診断された私は、月に一度必ず循環器内科の「なみかわクリニック」に行き、血糖値や血圧を下げる薬を処方されていました。その日、先生に自転車に乗ったり階段を上ったりしたときだけ胸焼けがするので、胸焼けの薬も一緒に欲しいと言うと、即座に心電図やエコーの検査になり、救急車が手配されたのでした。「不安定狭心症」という病名でした。心臓の冠動脈が完全に閉塞する心筋梗塞の一歩手前だったそうです。
 何年も自覚症状がなかったので油断していました。炎天下で自転車を走らせ、銭湯の湯上りに缶ビールを飲んで、そのまま走ったりしていたのでした。その年も七月から猛暑が続いていました。
 手術は、足の付け根からカテーテルを差し込み、心臓の冠動脈にステントを入れて閉塞を防ぐというものでした。手術自体は三十分程度で終わり、手術されている本人が感心するほど見事な手際だったのですが、尿道カテーテルを外すときなどは痛い思いもしました。
 手術の三か月後、命の恩人である「なみかわクリニック」の先生に、「手術後二か月順調なら運動を制限する必要はないです」と言って頂き、念願の千鳥温泉までサイクリングすることに。此花区にある千鳥温泉は、別名「自転車湯」と呼ばれているサイクリストの聖地。ここにはどうしても自転車で行きたかったのです。
 自宅から大和川を越えて大阪市内に。国道二十六号線を北上して、初めて北津守の落合上(おちあいかみ)渡船場から大阪市営の渡し船(無料)で大正区に渡り、千鳥橋に到着しました。
 確かに「自転車湯」と呼ばれるだけあって、ロビーの中に自転車置き場があります。評判どおりフレンドリーな店主さんに、中に置けますよ、と言われたのですが、日帰りで来ているので遠慮しました。この店主さん、廃業するはずだった千鳥温泉を脱サラして引き継いだという人。若い落語家さんに住み込みで働いてもらったり、音楽ライブや落語会を開催したりするなど、多方面で有名な方でした。
 浴室は中央に熱めの湯とぬる湯があり、壁際の洗い場との距離がたっぷりあって広々としていました。サウナも無料だったのですが、胸にステントが入っているので諦めました。
 帰りに千鳥温泉周辺のお薦めマップを貰い、十五個百円のたこ焼き屋さんなどを一通り巡ったあと、マップにあった天保山渡船場に向かって帰路へ。ところが、渡船場を間違えてしまい、ユニバーサルシティポートと海遊館西はとばを十分で結ぶキャプテンラインに乗船することに。眺めは最高だったし、自転車込みで七百円は思ったより安くて助かりました。さらに、足が竦むほど高い「なみはや大橋」を渡って港区から大正区へ移動。この橋の上から望む大阪の風景はまさに「水都大阪」。しばらく見惚れてしまいました。そこからは大正通りを走って、落合上渡船場に戻りました。
 残念ながら、ここで日没。愛車を天下茶屋の駐輪場に残して電車で帰宅し、翌日引き取りに行きました。

♨千歳温泉
 大阪南部の銭湯が一軒もない市に住んでいる私には、生野区は天国のような場所です。その生野区のコリアタウンに近い大阪聖和教会で知人のライブがあるというので、一条通りの千歳温泉さんへ。
 実は前年の夏に、近くの百草湯さんを汗だくで捜し歩いたのでした。なので、今回はすぐに発見。
 脱衣場も浴場もレトロで広い!
 やっぱり大きな湯船は嬉しいですね。二階にサウナと水風呂、一階には座るタイプと寝そべるタイプのジャグジーがあって、薬草風呂(この日はラベンダーでした)、電気風呂、ぬるい湯と充実。人間乾燥室もありました。脱衣場から二階に上がる階段があって、上がってみるとぶら下がり健康機器が並んでいました。脱衣場の明るさもちょうどいい加減で落ち着きます。
 お風呂を出て、コリアタウンでキムチを一キロ買い(五百円!)、ちょっと迷って大阪聖和教会に到着。すぐ近くに二〇二一年十月に閉店した楽々湯さんが、まるで定休日のようにそのまんま残っていて、生野区でも廃業される銭湯があるという現実を目の当たりにしました。
 大盛況のライブを堪能して、帰路へ。桃谷駅のほうが近そうだったのですが、もしかしてと思い教会前の通りをまっすぐ北上。すると、やっぱり百草湯さんと千歳温泉さんがある一条通りでした。教会は千歳温泉さんからまっすぐ一本道だったのか!
 もう次からは大丈夫。土地勘が付きました。

♨入船温泉
 今年リニューアルしたよ、と友人に教えてもらい、何年かぶりに入船温泉さんへ。
 JR環状線の新今宮駅から徒歩一分。釜ヶ崎銀座の入口にある銭湯で、何度も利用させてもらったことがあります。
 外観は基本的に変らず、こぶし並木と調和した町の銭湯そのものという風情なのです。しかし、暖簾をくぐるとびっくり。昔はなかった広いロビーが出現し、休憩所のような一角とオリジナルTシャツの展示。脱衣場は新築住宅のように木の香りがするし、浴場も完全に造り替えられていました。
 サウナはサウナストーンを積み上げた本格的なフィンランドサウナ(プラス三百円)。「身体を洗ってから湯船に入ってください」「タオルを湯船につけないでください」などの注意書きは、日本語と英語が同じサイズ。近くの格安ホテルと提携して宿泊もできるとのことで、完全に観光客をターゲットにして勝負に出たリニューアルなのでした。公式ホームページもとんでもなく美しいのです。
 しかし、それでも通常の銭湯料金で、外観は変えず、町の銭湯であり続ける心意気も感じてしまうのでした。

♨出城温泉
 土曜日の午後、いつでも行けると思いながら後回しになっていた出城温泉さんへ。新今宮と今宮駅の中間くらいの位置で、ニトリの近くということだったので、すぐに見つかるだろうと思っていたのですが、市営出城東住宅、市営出城第二住宅、市営長橋第一住宅など、どこを歩いても同じような景色で、気が付けばぐるぐる同じ所を歩いていました。
 市営住宅や府営住宅の近くには必ず銭湯がありました。昔の公営住宅は風呂なしだったので、銭湯は必須だったのです。今は五階建てやそれ以上の高層団地に建て替えられて風呂もついているのですが、営業を続けておられる銭湯もたくさんあります。
 私は丁度その建て替えが進む時期に、府営住宅に住んでいました。まだ赤ん坊だった長男は銭湯のおばちゃん達に随分可愛がってもらいました。長女も男湯に入れる年齢でした。ある日、何かの拍子に転倒して股から血を流したので、びっくりして裸のまま娘を抱きかかえて女湯に飛び込んだこともありました。
「男の人は血ぃを見慣れてないからな。そら、びっくりするわ」
 遠慮のない笑い声が女湯から聞こえて来たのも、懐かしい思い出です。
 しかし、府営住宅に引っ越してすぐに建て替えの話が持ち上がりました。
 説明会があると言うので参加すると、府の職員ではなく、自治会長さんが説明するのでした。彼は、これは自分の意見ではなく、あくまで府の言い分だとしつこく念を押しながら説明しました。
「府の言うのにはですな、戦後の皆が住む家も無かった時代の住宅対策とは今は事情が違う、これからは量より質の充実や、という訳です。花の万博の開催も迫っていますし、外国の方が大勢大阪に来られて、老朽化した長屋のような住宅が残っていたのではイメージも悪い。ここらで時代に即した住宅に建て替えたい、ということですな。家賃は四万円になりますが、3Kで風呂も付きます。間取りを増やしますから、総戸数はあんまり増やさんそうです」
 私は我慢できなくなって、小学生のように手を挙げて立ち上がっていました。
「今年入居した者なので、これまでの事情は良く分からないんですけど。ぼくは四万円の家賃が苦しいから府営住宅を申し込んで、それでやっと入居できたんです。それをいきなり四万円にするなんて、全然聞かされてません。量から質の時代や言わはりますけど、今でも府営住宅の抽選はものすごい倍率です。まだ二部屋の住宅でもええから、家賃の安い所へ引っ越したいと思ってる人が、それだけ多いという事やないですか。そら、あんまり殺生や」
「兄ちゃんの言う通りやわ」
 どこかでそんな声も聞こえました。
 しかし、自治会長さんは、私を諭すのでした。
「良く解ります。私らもな、お宅ぐらいの時期が一番苦しかったもんな。よう解りますわ。いろいろ事情のある方には、府の方でも助成金の制度がある言うてますから、相談してください」
 まるで哀れみを乞う者を見下すような、あの薄ら笑いは忘れられません。
 やっと見つけた出城温泉さんは風景に馴染み過ぎていて、ぼんやり歩いていたら見落としそうなほどの場所にありました。
 中に入ると意外に広くて、脱衣場には大きなテーブルと椅子を配置するスペースもありました。常連さん達の風呂道具を置く場所がどこよりも広かったです。浴室は真ん中に湯船があり、手前が気泡風呂、奥が深風呂になっていました。左右の壁に沿って七人分ずつの洗い場。奥にエステバス、打たせ湯、無料のサウナ、水風呂、電気風呂と並んでいました。お湯がちょっと熱めで、個人的にはこれくらいが有難いなあと感じました。
 新今宮駅から新世界側の銭湯には外国人観光客の姿も見かけるようになったのですが、こちらは本当に地元住民のためのお風呂という感じで、期待通りでした。

♨ふくずみ温泉
 JR立花駅で途中下車して、ふくずみ温泉さんへ。初めて来た立花商店街は道幅が広くて明るくて、とても賑やかでした。
 店先の鉄板に作り置きのお好み焼きを積み上げているお店が四軒もあって、そんなに売れるのかと心配になるほどでした。他にたこ焼き専門のお店もあって、こなもん天国であることは確かなようです。
 ふくずみ温泉さんは、駅前というわけではありませんがすぐに見つかりました。「湯あそびひろば」と自称するだけあって、遊び心満載の楽しいお風呂でした。
 天窓が広くて浴室全体が明るく、男湯と女湯の仕切りの上に花壇のように植物が並べられているので、まるで植物園の温室に来たような雰囲気。サウナが三種類、ジャグジーなどのエステ風呂が五種類。各浴槽の縁は手をつく上部だけが年季の入った檜板になっていて、すべらないように工夫されていました。
 露天風呂も水風呂も電気風呂もあって、男湯と女湯が日替わりなのだそうです。入浴料が四百十円というのもビックリ。「生ビールを三百八十円に値下げしました」との張り紙に釣られて湯上りの一杯を堪能しました。

♨湊潮湯
 前々から行きたかった堺市の湊潮(みなとしお)湯さんへ。南海本線湊駅から徒歩三分、目の前がバス停という抜群の立地ですが、僕はもちろん自転車で。
 仁徳天皇陵の前の道をまっすぐ西へ。まっすぐといっても結構な距離でした。
 昔は海水のお風呂屋さんが何件もあったそうですが、今はごくわずか。外観は鉄筋コンクリートですが、暖簾をくぐると何とも落ち着いた雰囲気でした。ロビーを極端に明るくしていないのがいいのかも。浴室に入ってみると、全部が海水かというとそうではなくて、広い主湯は炭酸泉。露天風呂と潮湯と表示された一回り小さな湯船が海水でした。
 さっそく露天風呂に入ると、脚の引っ掻き傷が滲みたので確かに海水だと思ったのですが、天然温泉に入っているような感覚で快適でした。電気風呂やジェットバスも炭酸泉で、海水をシャワーで流して出るんだと思い込んでいた僕は、普通に頭と身体を洗って安心したのでした。
 浴場には昭和歌謡のBGMが静かに流れていました。島倉千代子、井沢八郎、新沼謙治‥‥女湯から聞こえてくる大きな喋り声もBGMですよね。

♨神徳温泉
 京阪千林駅で降りると。賑やかな千林商店街のアーケードが地下鉄谷町線の千林大宮駅まで続いていて、そのまま国道一号線を越えたところに神徳(しんとく)温泉さんがあります。
 この銭湯、とにかくデカいのです。二階、三階とあるビルではなくて、ワンフロアで「えーっ」と声が出るほど浴場が広い。しかも突き当りが植物園みたいなガラス壁になっていて、解放感抜群。気泡浴、電気浴、露天浴、天然薬草浴、エステバス、スチームバス、乾式サウナといろいろあるのですが、一番の売りは「軟水」みたいです。「軟水装置により単純アルカリ・ナトリウム水に変えた物」らしいのですが、確かにぬるぬる感が強かったです。「大阪府下ではシャワーなど一部の水に軟水を取り入れた公衆浴場はありますが、全て軟水にしている公衆浴場は神徳温泉だけです。」と堂々とホームページに書いてあるほど自信満々。大阪の銭湯はたいてい軟水なんだけどなあと思うのですが、そんなものは本当の軟水ではないのでしょう。
 表に掲げた「二十一世紀の公衆浴場」というのも凄いキャッチフレーズだし、こういう態度のデカさ、激渋温泉とは言えないけど、銭湯ファンとしては嬉しかったりします。

♨屯鶴峯温泉
 久しぶりに天気が良かったので屯鶴峯(どんづるぼう)温泉へ。南海の北野田駅から近鉄バスで近鉄の富田林駅に移動し、古市で乗り換えて二上山駅に朝の十時頃に到着。二上山に向かう家族連れがあまりに楽しそうだったので、ふらふら付いて行っていまい、途中で逆方向だと気づいてUターン。屯鶴峯温泉という名前だけど屯鶴峯とは逆方向なのでした。
 見晴らしのいい道をピクニック気分で歩いていたのですが、どこにも屯鶴峯温泉という看板がなく、畑の中にどかんと建っていた香芝市総合福祉センターの受付で「屯鶴峯温泉はどこですか?」と訊ねると、「ここです」というお答えなのでした。
 一階のフロアにも大浴場としか書いていないのを見ると、あくまで香芝市民のための福利厚生施設なのでしょう。ものすごく広い休憩フロアがあるのに飲食禁止だし、ジュースの自動販売機すらなし。でも、この徹底した商売っ気のなさが、スーパー銭湯では味わえないリラックス効果を生むのですよねえ。
 お湯は綺麗な単純泉で、心地よい温まり具合でした。大浴場、露天風呂、つぼ湯、サウナ室、水風呂と揃っていて、それぞれが広くて快適でした。ただ、湯気の抜けが悪くて眼鏡をはずした僕には危険なほど視界が悪かったです。
 この距離なら、二上山に登ってから帰りに屯鶴峯温泉というハイキングコースもありだなと思いました。ただし、二上山駅まで戻ってもビールの自動販売機はありません。

♨新大庭温泉
 守口市の新大庭温泉さんは、谷町線の大日駅から歩いて公称徒歩十分。例によって、もうちょっと歩いた気がします。通りにお店がまったく見えない住宅街に、大きな水色のゲート状の玄関の正面に真っ赤な「ゆ」の文字を発見。ここだけが遊園地の一角のような配色で、かなり目立ちます。三時の開店前に着いたのですが、もう常連さんが三人並んでおられました。
 開店間の時間潰しにコンビニでもないかと一キロほど歩くと、すでに廃業された豊年湯さんの建物がそのまま残っていました。全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会の資料によると、組合に加入している銭湯は一九六八年の一七九九九軒がピークで、二〇二三年は一六五三軒とのこと。実に十分の一以下です。
 新大庭温泉の中は、かなり年季が入った雰囲気でしたが、ロビーもあり、脱衣場も、浴室も広くてゆったりしていました。
 二十人分の洗い場のカランの部分のタイルだけが赤くて、帯のように浴室をぐるりと囲んでいるデザインがお洒落です。深風呂のお湯もカランのお湯もしっかり熱くて、メンテナンスが行き届いている感じがしました。ローリング風呂、リラックスバス、電気風呂、水風呂、サウナ、スチームサウナ、露天風呂(この日は「ラムネの香り湯」)と揃っていて、どれも故障することなく健在だということも嬉しくなりました。
 お風呂からあがると、常連さんたちが近所のうどん屋さんが閉店する話題で盛り上がっていました。
「後継者がおらんだけで、店は繁盛してたで。あんた継いだりや」
「いやあ、八時過ぎたらだーれも歩いてないもんなあ」
 商売が厳しいのはお風呂屋さんだけではないのかもしれません。近くの大日駅に巨大なイオンモールができたことも、個人商店にとっては大打撃でしょう。弱肉強食と言ってしまえばそれまでですが、それでいいのか、といつも思います。
 帰りは、ちょうど目の前を通り過ぎた路線バスに飛び乗って守口駅へ。なんと寝屋川守口線「大庭七番」バス停から徒歩一分という立地なのでした。

♨銀水湯
 梅田で三十年来のネット仲間とオフ会。その前に、天下茶屋から阪急淡路駅に向かい、そこで梅田行きに乗り換えて一駅の崇禅寺(そうぜんじ)駅で途中下車。
 銭湯巡りをしていなければ一生降りることはなかった駅です。駅前には一軒のお店もなく、いきなり高層の市営住宅群。後で調べてみると、市営飛鳥住宅、市営飛鳥西住宅、市営南方住宅、市営東中島住宅などが集中しているのでした。
 前日西成にある「釜晴れ」というお店でライブがあったペーソスのアルバムをスマホで聴き、ボーカル担当の島本慶さんの名著『東京湯巡り、徘徊酒』をキンドルで読みながらやって来たので、すでに極楽気分。
 目指すは銀水湯さん。地図アプリを見ながら大体の方角に歩いて行くと、広い空き地の向こう側に巨大な煙突を発見。なんともご立派。正面に回ると、もう激渋確定の外観。入浴料がなんと三百五十円!ほんまかいな。千円札しかなくて、お釣りを受け取りながら申し訳ない気分になりました。
 脱衣場も浴室も実にシンプルだけど、決して狭くはありません。浴室の真ん中に深湯と浅湯、奥のコーナーに電気風呂と超音波風呂。それだけ。誰もいなければ簡素過ぎるかもしれませんが、お客さんが一杯で、しかも常連さん達の「お先に」なんて挨拶し合う声がずっと続いていて、いい雰囲気です。温めのお湯にじっくり浸かります。これだよ、これ。視線の先には「節水にご協力をお願いします」の貼り紙が。協力しますとも。
 風呂から上がって、着替えていると、番台の前の冷蔵庫に「地サイダー」の綺麗な瓶が何種類も並んでいるのを発見。「あまおうサイダー」選んで水分補給。二百五十円也。実は駅に戻る途中に、一軒だけ渋い雰囲気の立ち飲み屋さんがあったのです。島本慶さんのエッセイみたいに、ふらりと入って洒落た文章でも書きたいなと思ったのですが、次があるので我慢しました。
 梅田のオフ会は、有名な「まぐろ屋」さん。ここで人生初のQRコードでの注文を体験。いえね、やれと言われればできますよ。でも、味気ないですよねえ。

♨なんば温泉
 なんば温泉の閉店は突然のことでした。毎日通ってくる常連客の人達にはもちろんアナウンスはされていたのでしょう。けれども、私にとっては、無くなるとはこれっぽっちも思っていなかったという点で、大阪球場が無くなったときと同じくらいの衝撃でした。
 なんば温泉は、南海難波駅から徒歩三分。大阪府立体育館の裏手にあり、二十代の頃から何度も通った銭湯でした。銭湯好きの友人からメールが来て、二〇二四年六月末の閉店を知り、最終日の前日に行きました。
 玄関に白い紙が貼ってあるのが遠くからでも見えました。きっと閉店の告知だろうと思って近づいてみると、「お詫び 本日店のエアコンが故障しています。明日は休業させて頂きます。」と手書きのメモ書きが。明日って最終日やんか。なんと間の悪いことよ、と思いながら、下駄箱に靴を入れ、いつものように自動販売機で入浴券を買って、中に入りました。閉店の告知はどこにあるのかと探したら、浴室の入口に貼ってありました。
「閉店のお知らせ 平素より、当湯をご利用いただきありがとうございます。誠に勝手ながら、当湯は6月30日を持ちまして、閉店することとなりました。開店以来のご愛顧、誠にありがとうございました。 店主」
 実にあっさりしたものです。公設市場がスーパーになってもずっとお店を続けてきたお肉屋さんなどが閉店するときのほうが、ずっと長文に出会うことがあります。「父の代から六十年間もご愛顧を賜り」とか、「狂牛病の時代も乗り越えてまいりましたが」とか、無念さが行間から滲み出してくるような文章です。でも、お風呂屋さんには、こういうウェットな文章は似合わない気もします。
 脱衣場では常連らしきお二人が、「明日からキタバ行かなしゃーないな」、「自転車でも遠いなあ」と、次に近い銭湯の名を出して、互いに確認するような会話をされていました。
 明日が最終日だと思い込んでいる銭湯ファンも多かったと思います。普通は最終日ともなると、デパートや遊園地と同じで、その日だけは混雑するものなのですが、浴室にいたのは数人で、のんびり湯船に浸かることができました。
 主浴槽は丸い壁に沿っていて、カット売りのバームクーヘンのような形をしています。浴室全体はかなり狭いのですが、よくこれだけの種類の風呂を詰め込んだものだと思うレイアウトで、しかもスチームサウナも水風呂もエステ風呂も、それぞれはしっかり広くて無理に付け足した感じがしません。見事なものだ、と来るたびに思います。
 もう何十年も前、結婚して子供ができた頃に、私は大阪球場にあった場外馬券売り場でガードマンをしていました。共稼ぎができなくなり、急に生活が苦しくなったからでした。平日は印刷会社で働き、土日にアルバイトをするのです。世の中はバブル景気の最中で、素人がNTTの株で儲けて車を買ったなんて話が溢れていました。真面目に働いて、所帯を持って、子供を育てて平凡に生きて行きたいだけなのに、どうしてこうなるのだろう。ある種の小賢しさや小狡さがないと、こういう目に合うのだろうか。二十代の私は、かなり僻みっぽくなっていたのだと思います。自分だけが場外にいるような違和感が、ずっと続いていました。
 時給八百円で八時間ですから、一日働いても六千四百円です。仕事帰りに四百八十円の銭湯に入ることが、とてつもなく贅沢に思えました。それでも何度か、なんば温泉に通いました。お風呂に入る爽快感はもちろんですが、ここにはバブルに浮かれた空気がまったくないのでした。ここが自分の居場所だとさえ感じました。
 バブルがはじけて三十年以上、ずっと不景気が続いても、どこかで浮かれた空気を懐かしむ風潮は消えていない気がします。銭湯は、今も私の居場所です。

(了)

『天見文庫』